大朝いろ

北広島町大朝での暮らしを書いています。

大朝ゆかりの「はら みちを さん 」が亡くなりました。

大朝出身といっていい、詩画家・はらみちをさんが先日お亡くなりになりました。本名 梶原道夫 93才。

生まれは神戸市ですが、中国大陸で父親を亡くし、戦前にお母さんの郷里大朝に移住して来られました。 

f:id:oasa_iro:20210601155316j:image

▲在りし日のはらみちをさん(はらみちをブログより)

若くして独学で印鑑彫と時計の修理を学び、二十歳過ぎには一間四方くらいの印判店と時計の修理のお店を、大朝4丁目の二井表具店の一角を借りて営んでおられました。


はらさんは重度の脳性小児麻痺で、歩くことはままならず、手もボタンがやっと止められるくらいでした。小学校へはお母さんや友達が背負って通われたそうです。だから動く必要のない印鑑彫りと時計修理で身を立てようと考えたようですが、並大抵の努力ではできなかったでしょう。そのお店も40歳のころたたみ、絵と詩で自立を目指して広島市に一人で移住されました。

 

はらさんの暖かいお母さんと子供の絵は多くの人に感動を与え、展覧会はいつも盛況でした。その後、さまざまな論文や詩で賞を授賞を重ね、出版物の表紙絵や広告物でも賞を受賞するなど広く活躍されました。

f:id:oasa_iro:20210601155447j:image

▲わさ大橋
大朝でも「わさ橋」にはらさんの絵を十数枚はめ込んだ、はらみちを橋上ミニ美術館があり、「はらみちをの世界展」も開催されました。


不自由な体で人並み以上の努力を重ね、どんな逆境をも克服してこられた「反骨の人」「不屈の人」でもあります。そして、なにより多くの方々に幸せと勇気、感動をもたらしてきたことを、同じふる里の住民として誇りに思います。
みなさま、大朝にお越しの折には、ぜひ3本の「わさ大橋」に掲げられた、はらみちをさんの絵を見てください。

f:id:oasa_iro:20210601155618j:image

▲わさ大橋のはらさんの画
ぬくもりや感動を沢山いただいた、はらみちをさんに感謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

 

(記事:山本)