※このページは、ブログメニューの「大朝ってどんなとこ?」からいつでもアクセスできます。
※今後、加筆修正を行う場合があります。
北広島町大朝地域について、ご紹介します。
◆紹介の流れ
①北広島町の位置
②大朝地域の位置
・地名について
③大朝地域の地区と行政区(集落)
・面積・標高・人口
・町の前は村だった
・地区
・行政区(集落)
・文化と伝統
・わさまち通り商店街(旧大朝商店街)
④大朝地域の年表
①北広島町の位置
上は広島県の地図です。北広島町は広島県の北西部に位置し、南は広島市、北は島根県と隣接しています。町内の標高は約300m~800mで、島根県との県境では1,000m級の山々(西中国山地)が連なります。
標高が高いため冬は積雪が多く、スキー場が集積する日本最南端の地域です。夏は日中暑いのですが朝晩は涼しく、年間を通して寒暖差が大きいため、おいしいお米ができる広島県の米どころとして知られています。古くから農業が盛んで、初夏は世界無形文化遺産の壬生(みぶ)の花田植(はなだうえ)や、国の重要無形民俗文化財の新庄(しんじょう)はやし田(だ)、秋になると神楽など、田にまつわる伝統行事も北広島町の全域で盛んに行われています。
※北広島町の観光情報は北広島町観光協会のホームページをチェックしてみてくださいね。
②大朝地域の位置
続いて、北広島町にフォーカスしました。大朝地域は町の北側に位置しており、島根県邑智郡(おおちぐん)邑南町(おおなんちょう)と隣接しています。
地名について
平成17(2005)年に千代田(ちよだ)町、芸北(げいほく)町、豊平(とよひら)町と合併して、大朝町から大朝地域になりました。(他もすべて町→地域という表記に変わっています)英語のつづりは、「OASA」です。
③大朝地域の地区と行政区(集落)
大朝地域までフォーカスしました。
面積・標高・人口
大朝地域の面積は約90.50㎢で、4地域のなかで一番小さいです。大朝地域の端から端まで、車で約15~20分程度で行くことができます。標高は約370m~450mで、人口は2,874人(2018.8月末現在)です。
大朝地域で標高の高い山は、寒曳山(かんびきやま)825m、加計の山(かけのやま・かけやま)752m、日野山(ひのやま)705m。
マップ上の★は北広島町役場大朝支所、●はわさまち通り商店街(旧大朝商店街)を指します。
▲大朝の街並み
▲盆地
▲浜田自動車道。大朝インターから広島市・浜田市ともに1時間ほどで行けます。
町の前は村だった
合併前は「大朝町」でしたが、さらにその前は「大朝村(おおあさそん)」と「新庄村(しんじょうそん)」に分かれていたので、大朝地域で話しをするときは現在でも「大朝」「新庄」と分けて言います。行政が使う「大朝地域」という表現は、旧町(大朝と新庄両方)のくくりになります。
地区(現在は住所に入りませんが、いわゆる大字のこと)
大朝地域は、住所につく地名が7つあります。(北広島町大朝とか北広島町岩戸とか)7つの地域はそれぞれ郵便番号が違います。いわゆる大字で、新庄村・大朝村の前は、7つ村があったようです。
行政区(集落)
地区は7つですが行政区(集落)単位になると、45の地名が存在します(住所には入りません)。町が行政区と定めているため、大朝地域へ全戸配布する資料などあれば、45の行政区の区長へ託されています。資料を託された区長は、集金常会など住民が集まるときに配布したり、各家庭を配って回ったりします。
文化と伝統
●神楽と花田植
▲鈴鹿山(すずかやま)。小市馬神楽団(しょうしばかぐらだん)奉納神楽より。
大朝地域も神楽が盛んです。現在、大朝地域では神楽団が14団あり(2018.10月現在)、毎年9月下旬から10月下旬にかけて、お宮で奉納神楽が行われています。毎年11月の第1土曜日には「大朝神楽競演大会」が行われ、大朝地域中の団員が迫力ある舞いを披露しています。
▲新庄はやし田(過去の記事はこちら)
田植えシーズンの5月には、大朝地域の鳴滝(なるたき)温泉で、国の重要無形民俗文化財の新庄はやし田(花田植)が行われ、毎年多くの観客が訪れています。
●お祭り
【わさまち】
毎年4月29日に、「わさまち」という大きなお祭りがあります。今から200年以上前に起きた、わさまち通り商店街(旧大朝商店街)の大火事から復興することを願いはじまった祭りです。商店街には復興を願って建立された愛宕(あたご)神社があり、神主が毎年祈りを捧げています。現在はエンターテイメント性が高まり、町内外から屋台が集まって、子どもも大人も遊べるにぎやかなお祭りとなっています。
(過去の記事はこちら)
【新庄夜市】
「新庄夜市」は毎年7月の第2土曜日か第3土曜日に、新庄学園通りで開催される夜祭りです。写真の提灯は、祭りのシンボルとして地元の人たちがつくりました。縦8m、直径5mあります。わさまちと並んで大きな祭りで、町内外から約50店の屋台が並びます。大朝町史を読むと、新庄村のころ、虫送り(農作物の発育に害をなす虫を駆逐するための儀式)だったとか。
(過去の記事はこちら)
わさまち通り商店街(旧大朝商店街)
わさまち通り商店街(旧大朝商店街)は、広島市街地まで約60km、日本海に面する島根県の浜田市まで約51kmと、広島市と浜田市の中間地点に位置しており、戦前戦後は交通の要衝として栄えていました。わさまち通り商店街はかつて、旅館、料理屋、舞台小屋、呉服店など多くの店が軒を並べており、旅の道中に立ち寄った人や地域の人たちが集い、にぎやかだったそうです。
④大朝地域の年表
大正15(1926)年1月1日 大朝村が町制施行して大朝町(初代)になる
昭和30(1955)年3月31日 大朝町(初代)と新庄村が合併して改めて大朝町(2代)が発足
平成17(2005)年2月1日 芸北・千代田・豊平各町と合併し、北広島町になる
参考:
大朝町(1982)『大朝町史上巻』『大朝町史下巻』.
「北広島町 長期総合計画」
https://www.town.kitahiroshima.lg.jp/soshiki/5/1221.html
「北広島町観光情報サイト ぐるっと、きたひろしま」