コロナなんかにゃ負けちゃあおれん「元気・大朝プロジェクト」第2弾の大朝さんぽ。
11月29日に最後の「吉川史跡さんぽ」を実施しました。定員をオーバーして18名の方が参加してくれました。昨日が雨で、今日は曇りから晴れと言うことでしたが、残念ながら小雨交じりの天気。
しかし、思ったほど寒くなく、バスとウオークのミニツアーでちょうどよかったくらいです。最初に図書館の資料館で大朝に置ける吉川氏の概略をお聞きし、かつて吉川氏が大朝に来るまでの本拠地駿河にちなみ、駿河八幡と呼ばれた龍山八幡神社。ガイドは大朝の歴史に詳しい宮庄さん。
龍山八幡の歴史や隣に建つ治功神社(ちこうじんじゃ)の云われなどをお聞きし、向かいの山裾にある西禅寺跡へ。
西禅寺は戦国時代の雄、山口の大内氏も戦の前線に行く途中で投宿したと伝わる大朝地区最大の寺であったとか。近年は、その面影もなく小さな祠に薬師さんが数体祀られていただけと言う。一旦丘を下って、隣の谷へ入っていくと吉川氏の居城跡である小倉山城祉です。城址の麓からは急激に急な道となりますが、よく整備されているので大体大丈夫です。本丸、二の丸、そのほか沢山の郭(くるわ=山を削って平らにした場所)が尾根伝いにあります。
午前中の見学はここまでで、昼食は2キロほど先にある道の駅のような「からしろ館」。ソーシャルディスタンスと食事中は無駄話をせず、静かに弁当を頂きました。
午後からは、宮迫から岩戸地区にバスで移動して、吉川氏の菩提寺洞仙寺跡へ。
ただし寺跡は今は無く、大朝吉川氏の5代経信、7代経基、8代国経、9代元経の墓とされるものが満州菩提樹の墓印の基にあります。まさに兵どもの夢の後といった感です。
最後に、大朝と吉川氏の栄華の基礎を造った大朝吉川氏初代、経高公の墓所へ。新庄横路の深い木立の中を300メートル進むと、立派な瓦屋根の垣根に囲まれて、そばに数百年の樹齢はあろうかと言う大杉が立つ墓所です。
墓所前の急な石段や木立、板塀の垣根も始祖にふさわしい趣を持っています。一通り説明を聞いて、終了。再び深い木立の中の帰路につきました。
10月3日の大朝・元気シークレット花火大会に始まり、本日の大朝さんぽ3回目で、コロナなんかにゃ負けちゃおれん「元気・大朝プロジェクト」は、完です。
プロジェクトのもう一つの事業「住まいのインフラ整備助成事業」もすでに数件の問い合わせがあり、今年の内には助成が始まりそうです。こんなことでコロナ禍からの脱却が出来るとは思いませんが、大朝の皆さんに少しでも元気や勇気が届けられたのならうれしいのですが・・・参加してくださったり、支援していただいた皆さまに心より大朝地域協議会の役員として感謝申し上げます。
(記事:山本)